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第八章:開かれた記憶と鳳凰の真実

鳳凰の羽(文章:Gemini 2.5 Pro、イラスト:DALLE3)

第8章の挿絵
インコが示した桐箱は、他の箱よりも僅かに古びており、まるで長年誰かの手が触れるのを待っていたかのように、静かな存在感を放っていた。白石が慎重に蓋を開けると、中には麻布に丁寧に包まれた一冊の古びた手帳――白石の祖父の日記――と、小さな絹の袋が納められていた。 広志と玲は、固唾を飲んで白石が日記を開くのを見守った。小夜子もまた、静かにその様子に目を凝らしている。インコはケージの中で静かになり、まるでこの瞬間を待っていたかのように、じっと日記を見つめている。 日記は、白石の祖父の几帳面な文字で綴られていた。日付は戦中から戦後にかけて。そこには、玲の祖母との出会い、彼女が「鳳凰」と呼んでいたある特別な絵絹の製法――それは特殊な鉱物と植物を組み合わせた顔料の発色と定着を飛躍的に高める秘法であり、その絵絹に描かれた色彩は時を経ても褪せることなく、まるで生きているかのような輝きを放つという――を戦火の中で守り抜こうとしていたこと、そして、その技術が悪用されることを恐れた祖母が、白石の祖父にその秘法の断片と、いつか正当な継承者(血縁でなくとも、その魂を受け継ぐ者)に渡してほしいという願いを託した経緯が、克明に記されていた。 「鳳凰の絵絹…」 玲は呟いた。彼女が追い求める、岩絵具の色彩を最大限に引き出すための理想の素材。その答えが、こんな形で祖母と繋がっていたとは。 日記には、玲の師匠についても触れられていた。師匠は若い頃、偶然玲の祖母と交流があり、その鳳凰の絵絹の存在を知った数少ない一人だった。師匠は、その失われた技術の復活を密かに願い、玲の才能の中にその可能性を見出していたのかもしれない。そして、鳳鳴堂の先代当主(小夜子の祖父)は、白石の祖父と玲の師匠の双方と親交があり、この秘密を守る「隠れ家」としての役割を担っていたのだ。 「『鳳凰が真の翼を得る時、道は開かれん』…祖父の言葉の意味が、今ようやく分かりました」小夜子は静かに言った。「鳳凰とは、その失われた技術。そして真の翼とは、それを受け継ぎ、新たな芸術として昇華させることのできる才能…玲さんのような方のことだったのですね」 AIが翻訳した手紙の「鳳凰の真の在り処は、血と魂を受け継ぐ者の手の中にこそ示される」という一文が、鮮やかに意味を結んだ。それは物理的な場所ではなく、玲自身の内に秘められた可能性を示唆していたのだ。 白石は、日記と共に納められていた小さな絹の袋を玲に手渡した。震える手で玲が袋を開けると、中には数種類の乾燥した植物の欠片と、小さな鉱石、そして一枚の古い和紙に書かれた、解読困難な記号のようなものが入っていた。これが、鳳凰の絵絹の秘法の断片なのだろう。 「お祖母様は、この技術が、いつかあなたのような芸術家を志す人の手に渡り、平和な世で美しいものを生み出すために使われることを願っていたのでしょう」広志は、玲の肩を優しく抱いた。 その時、日記の最後のページに、広志は見覚えのある記述を見つけた。「リン(玲の祖母の名)は、鳳凰に似た美しい声で鳴く鳥を大切にしていた。その鳥はまるで、彼女の心の声を伝えるかのように、時に不思議な知性を見せたという…」 広志と玲は、顔を見合わせた。今、自分たちが飼っているインコたち。特に、何度も重要な局面でヒントを与えてくれたあの青いインコ。単なる偶然では片付けられない、不思議な繋がりを感じずにはいられなかった。 そして、日記にはもう一つ、気になる記述があった。「この技術を軍事利用しようと画策する影があった。その追求は、今もなお水面下で続いているやもしれぬ…」 鳳凰の秘法は、単なる美しい芸術のためだけのものではなかったのかもしれない。その輝きは、同時に危険な影をも引き寄せるものだったのだろうか。謎は解け始めたが、新たな不安が広志の胸に広がっていくのを感じた。
公開日: 2025/6/2文字数: 1605文字